もうすでに一時的な流行は去ってしまった感もあるが、ソーシャルメディアではいまも「異世界転生」が話題である。その是非を巡ってきょうも不毛とも思える論戦がくりひろげられている。 で、なぜ「異世界転生」なのかというクエスチョンに対しては、いろいろなアンサーが考えられるだろう。「氷河期世代」や「失われた30年」といった現実社会の事情に対応しているというのもそのひとつだし、あらゆる願いが奔放に叶う場所として「異
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ナーロッパという舞台には積極的な意味があると思っていて、それは異世界転移はともかく転生ものは多分に生き直し、やり直しがテーマの作品が多いから。/前世の常識がまるで通じない異世界では話が成立しない。
辛い現実を忘れるための「読むストロングゼロ」だよね
"異世界は「異」世界ではなく異「世界」である"の意味がわからないまま
リアリティの話ですね。大長編ドラえもんも、初期は過去やスモーキーマウンテンが舞台でしたが、後半につれ異世界みたいな他の惑星だったり(アニマルプラネット)もしもボックスで作った異世界(魔界大冒険)でしたね。
これは「」の場所を適当入れ替えてなにか含みを持たせる構文になる可能性あるな...
こういう言い方アレだがこれらはポルノの一形態として解釈するのが適当だと思う ジャンル自体が表現の新地平を拓くことを目的としたものではない
細かい世界設定には興味はなくてもとりあえずどこか「今ココ」ではないところに行きたいということは共通してみんな抱いてる意識なのかな
異世界転生モノやVRMMOモノ、過去転生モノなんかを語るには、作者やテキストだけではなく、同じ物語を(自分が)語り直したい・何度でも読み直したいという読者側との相互作用として見ないといけないのでは。
この文脈で“魔境遊撃隊”が出てくるとは。あれは、「接する事のできなかった」ノスタルジーをファンタジーの舞台装置で再話したものと思うのだ。”魔都”の方が「異世界転生モノ」に近いのではないだろうか。
藤子・F・不二雄短編集を一気に読んだけど、宇宙もののSFには設定の様式がある程度あり、「この時代の異世界なんだなあ」と思った。
長嶋スパーランドに来る客の10%ぐらいは伊勢界である。
なろう系は未踏や冒険を求めるジャンルとは全く別。現世のしがらみとは完全に分離されていながら現代価値観との連続性を保つ為のギミックこそが魔法でそれを最も活かせる場所が剣と魔法のドラクエ的中世なのだと思う
異世界は Another World であれば十分であって、Strange World である必要はないという事かね。うるさ型はナーロッパの設定がペラいと馬鹿にするが、論点がずれていると。/ 「やりなおしの物語」というのは納得。
実際の大半の「なろう」書き手の動機はおおよそ身も蓋もないのは前提として。雑談しながら思いつきの新説・珍説を、薀蓄とそれらしい小理屈で肉付けして披露し合うのって楽しいよね。SF者の嗜みって奴だ。
なんか高度に作り込まれたイメクラって感じなんだよな
転スラの世界に月はあるので、新スタートレック的には位相のズレた存在なのかと思ったり。
ロールプレイングという点から考えるのも面白いと思うんだよな。ゲームの世界に没頭する仕掛け、セラピーとしてのロールプレイ、プレイヤーとしてもつメタな神の視点と知識。
誰かが言っててなるほどと思った、なろうにおける異世界は「来世への憧憬」であると。このクソつまらない世界で不遇に生きた者がいつか辿り着く地よ、そうあれかしと。
書いてる方にしろ読んでる方にしろそんなに細かい事考えてなくて、ただのオナニーの手段として消化してるだけじゃね。
共通化された設定を使った「みんな知ってるね」手法で可能な限り説明を省くのはパルプ小説としては間違った手段ではないと思う
ブコメ、ヘビースモーカーズフォレストは大魔境で3作目、魔界大冒険は5作目なので魔界を後半と呼ぶにはかなり抵抗があるぞ。/オナニーと祈りにどれほどの違いがあるかね。
現実世界では解明された事が多すぎて、自由な(無知な)物語を綴ると突っ込まれるからだと思っている。ヤマトの宇宙では砲撃音が聞こえるんだよ、が現実世界を舞台にすると通じなくなった感
『不毛とも思える論戦』 不毛と言って良いのでは?だって元の文章を読んでなかったり元にしてなかったりなのに元にしてるテイなのばっかりなんですもん…(そんななかでは連想での豊かな別の話も咲きづらいので)。
ブクマカにおけるはてブは「はて」ブではなくはて「ブ」である。
こういう言い方アレだがこれらはポルノの一形態として解釈するのが適当だと思う ジャンル自体が表現の新地平を拓くことを目的としたものではない
別に難しいはなしじゃない。大喜利の舞台としての使いやすいシェアードワールド以上の意味はないだろう。フリーレンだってダンジョン飯だって大喜利の一つ。
異なる価値観とそれによる衝突が技術の発達によって万人に可視化させた現代は、クトゥルフ神話が霞んで見える未知と狂気と混沌の世界なので。老人だけの限界集落のような異世界は、認知不協和フリーで精神に優しい
これは「」の場所を適当入れ替えてなにか含みを持たせる構文になる可能性あるな...
前半で長々と語ってる「冒険の舞台」論は古典異世界の話だよね。で、なろう異世界はまったく別物だって話だよね。なら同意なんだけど、その割には延長線上にあるかのような書き方をしてて分かりにくい。
ありがとう。なろう系が流行るのをファンタジーとして語られるのにすごい違和感持ってたので、こういってもらえるとほっとする。
オリジナリティのある世界ってコアな読み手にはいいんでしょうけど、そうじゃない人には伝わりづらいんじゃないかと思います。読み手が知らないものをきちんと想像しないといけないので
なろう小説はあらかた読み尽くした感があって、世の中にも若干飽きられて来ているなら代謝として良い兆候だと思う。粗悪なコンテンツは消費し切るまで消費し尽くしたとしても、新しいコンテンツが台頭するだけだ。
「異世界」って、JRPGで勝手知ったるナーロッパで、未知の世界ではない。新しく設定を覚える必要もなく、人物の描写はレベルとかスキルとかステータスで表現され、興味あるところだけで楽しめるんだよ
"異世界は「異」世界ではなく異「世界」である"の意味がわからないまま
異世界転生モノやVRMMOモノ、過去転生モノなんかを語るには、作者やテキストだけではなく、同じ物語を(自分が)語り直したい・何度でも読み直したいという読者側との相互作用として見ないといけないのでは。
なろうってかWEB小説ラノベの異世界って、近年のものはほぼほぼJRPGで、それ以上でもそれ以下でもないよ。だからみんな「ステータスオープン」するんじゃん。乙女ゲー由来の悪役令嬢にしてもそう。ゲーム世界なんよ。
異世界である必然性と、その異世界がどっかで見たエルフやらドワーフやらのテンプレートで出来てる事とは別だよね。
今の現実世界は神秘も未知もほとんど無くなってしまったから「ここでは無いどこか」って言う意味の異世界が刺さるんかねぇ…
世界の仕掛けに驚きがあるものを好む層(SFマニア)からは、単に「志が低い」と言われてきたのは、黄金時代の凡百スペースオペラ("hacky, grinding, stinking, outworn, spaceship yarn")が通ってきた道とも言える