語れば長いんですが、皆さんだいぶ任天堂のことをご存知だと思うんで、「どうして任天堂がこんなものを作るんだ」と思われたとしたら、それは正解なんです。あまり自分たちの説明をしない。お客さんとは商品を通じてコミュニケーションする、とずっと決めてきて。だから、今回これを作ろうと決めたときにいちばん心配したのは、山内(任天堂の山内溥元社長)がいたら「そんなもんやめとけ」って言うやろなっていうことだったんです
www.famitsu.com/article/202409/18892
共通認識として持ってもらいたいものが増え過ぎたのでミュージアムにした。宇治の工場は廃止したので用途転換と地元の客寄せも兼ねてる、ってところかな。任天堂製品の修理で宇治に送った人もいるんじゃないかと
コーポレート・アイデンティティというものの本来の意義だなあ(キャッチコピーやロゴの貼り替えの意味ではなく)
“東京に行くと東京で流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本でしか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました”
低スペック路線は後継機でも継続っいね。任天堂タイトルはそれでよいと思うけど、サードは他機種のスペックに合わせて作ってるのでなあ
ミュージアムオープン30周年の時もインタビューに答えてそうな宮本氏
10月11月落選しました!12月頼むぞ!
宮本さんは宮本さんやなあ。もともとは新人教育のための資料室として作ってたのね。
"ハイスペックとか、ゲーム機の性能をどうするかみたいな~競争に任天堂を巻き込まないでほしいと(笑)”…「いよいよハード事業に危機感を持ち始めてる」みたいな事だろうか。次々世代あたりはもうわからんな。
宮本さんはこういう物言いが老害っぽくてちょっとなぁ。その点、桜井さんは他の人や物へのリスペクトをすごく感じてすごいと思う。
『皆さんに見てもらって任天堂がわかってもらえたらいいな/ハイスペックとか、ゲーム機の性能をどうするかみたいな“ゲーム戦争”と言われたりする競争に任天堂を巻き込まないでほしいと(笑)』『東京はローカル』
ハイスペックとか、ゲーム機の性能をどうするかみたいな“ゲーム戦争”と言われたりする競争に任天堂を巻き込まないでほしいと(笑)>任天堂らしい京都の老舗の会社らしくて良いねえ。独立独歩唯我独尊。
個人の名前が出てこない…
宮本茂はじめ任天堂が考えるミュージアムのあり方、任天堂の中でのミュージアムの位置付け。「山内がいたらミュージアム反対されてた」そうかも知れん
東京にいると日本で売れるものしか作れなくなるっていうのはそうかもね。自分の作りたいものをしっかり深めていくのが重要と。
“東京に行くと東京で流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本でしか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと”