さとう @paku99jihyo 言葉にするのが下手な人って、そもそも自分が何考えてるかよくわかってない人が多い。自分の思考の解像度を上げないと外に出す「言葉」には変えられない。
togetter.com/li/2429296
解像度を下げないと言葉にならない、という感覚のほうが近い。全員が言葉で考えていると思うなよ?
日記を書きなされー。何を書けばいいかわからない人には「寂しい夜にはペンを持て」がオススメ。自分と対話するコツ(そしてそれを言語化するコツ)を物語で教えてくれるのですんなり入ってくるよ〜。
曖昧な気持ちを無理に言葉にすると、その言葉からはみ出たものが無かったことにされちゃって、そういうのが嫌で何かもっと良い表現はないかと探して新しい言葉が生まれるんだって趣旨の本を昔読んだなあ。
曖昧なものを言語化することで理解が深まることもあるし、言語化によって情報が削ぎ落とされたり別の意味になってしまうこともある。塩梅が難しいね。でもどっちが大事ではなく、どっちも大事なんじゃないかな
昔も今も、会話だと焦ってうまくまとまらずディスコミニュケーションしがちだから、作文とかでゆっくり言語化してからアウトプットするのが好きだ。その場で過不足なく適切に言語化できる人に憧れる。
頭に浮かんだことを、何の配慮もなく口に出せる人は、周りに理解ある人が存在する環境の人。内容は関係ない。一方、TPOにあった適切な言葉が出る人は、一度脳内変換して話してる賢い人。話せる人は2種類いる。
システム開発で要件定義以前にシステムで何をしたい、してもらいたいのかを言えないユーザが多いことからも、普通の状態だと思う。
これも想像にすぎず、他人の頭の中がわかると思い込むのもまた間違っている。人の考えが読めないのも、相手の考えを自分と同じだと思うのも、そういう脳の傾向に過ぎない。
昔から「イライラ」とか「スカッと」とか、正確な気持ちと合致してないし、なんとなりゃいまでもそうかもしれない。でも、一般化するとそういうことかしら?と恐る恐る使ってる。みんなそうだと思ってるけど。
ふーむ。
言葉にするのに時間がかかる。自分は考えている途中で、人と話してすぐに自分の意見を出せる人の言うことが正しく思えて自分の意見を出すのを時々諦めてしまう
言葉にしても伝わらないことは多いというか、自分では物考えている・伝えているつもりでも、自分限りの条件を他人にも共有された「所与の条件」と思い込んでいる人は案外多いと思うのだ
自分が何を考えているのかなんて、言葉にするのが若いころよりは上手くなれてもまだわかっていない。年とともに経験は増えて感受性は鈍くなることは密かに実感している。
言葉にすると楽になるタイプの人間なので言葉にして外に出している。
そんな偉そうなこと言うなら、味噌と醤油ラーメンの味の違いや、aikoと椎名林檎の歌声の違いを、知らない人にも伝わるように言語化してみてくれ。世の中には言語化が難しい無意識レベルの感覚が山程あるんだよ。
もしかして日記を書く必要性をみんなが気づきだしているということ? ここにもいわれているが、名前がないとその概念を認識できない。私は日記つけはつまらなくなって、エッセイを自分で書いていたな。
自分が何を考えてるか、全て言語化できる人というのもそうは居ないはず。
言語化するとオッカムの剃刀的にもやもやとした物が削ぎ落とされ単純化されてしまう、動きたい場合は有用な事が多いが突き詰める事が出来ず何かを見落とす事にもなる。突き詰めるべき場面もあり塩梅が難しい
感性でまずはやっちゃうのが好き。それを言語化で補足してみると新たな気づきが出るだろうけど、個性がなくなる気がする
自分の言葉で話す環境に身を置いたらええやん
このタイプの人は質問ができないから仕事で関わると割と詰む。質問のためのフォーマットをわざわざ用意してあげてもそこに落とし込めない。
自分の考え、と言うものを見つめるのは結構危険な行為で目を回しちゃうから気をつけて欲しい。無知の知だって何段階もある。自分の考えと思えるものも何層もある。
自分勝手な「解像度」を上げて、言ってないことを勝手に読み取る人もたくさんいる。結局誤解は出る前提ですり合わせていくしかない。
万能感の塊で俺くらいすごけりゃアフェリで食える!ってブログ始めたら、自分の興味の範囲がすごーく狭くすぐネタが尽きた。アウトプットしないと自分が何を考えてるか、何を成したかなんてわからないのだと思った。
何か真理を言っているようで何も言っていないしょうもない内容だな。
本筋とはズレるが「思考を言語化する」という表現が成立することからも「ヒトは言語で思考していない」という事が分かるな。しているならばこの表現は矛盾しなければならない。
言語化するのって米が酒になるような感じがする。磨けば飲みやすくなるが捨てた部分の方が多くなる
なんだろな、落とし所も目的もない雑談大嫌いで、自分はなんか考えてんだけどそれを言葉に置き換えるのに少しだけ時間がかかってるうちに、別のなんかできゃっきゃ言ってるところにいると、理由見つけてフケる。
ららら、ららら、言葉に出来ない。言葉に出来ない事が素敵な歌詞になんねんで。薄っぺらい能書きたれとんな、カス!
言葉を使わずに考えられるのがある意味衝撃。考える時って必ず言葉を使っているのだが違うのか…
「言葉あれ。」神はそう言うと、人の言語化能力を無情にも分かち給うた。
自分はその訓練としてはてブにコメントつけ始めたんよなあ。拙いながらも、言語化への苦手意識が減ったのでマジありがたい
自分も即座に何か言うの苦手だから、マインドマップとかジャーナリングとかで書きだしてから台本作っておくことが多いかも。
「心の声」が全員の標準ステータスのスキルとは、限らないんじゃないか?と時々思う。
ちょっと前に世の中には言葉で考えてる人だけじゃなく絵や図で考えてる人がいるってゆる言語学ラジオが紹介した本に関するポストがバズってなかったっけ?
動機の言語化か......余り好きじゃないしな しかし案外...いや やはりというべきか 自分を掴むカギはそこにあるか………
でもな。ビジネスでは言葉がメインのコミュニケーション手段になってるんよね。だからしんどい面もあるんよね。ほんとはみんな、アレとかコレだけで伝わって欲しいんよね。
「何考えてるか分からないね」と言われても、おれも自分が何考えてるか分かってない
無理に言語化してしまうと、思ってもいなかったことを考えていたことになってしまったりする場合もあるような。自己正当化や自己欺瞞など。犯罪被害者が犯人の特徴を言語化して記憶が改ざんされてしまう例もある。